「真面目だね」と褒められているのに、なぜかモヤモヤする。
そんな経験、ありませんか?
- 褒められているのに、素直に喜べない
- 「真面目」がプレッシャーに聞こえてしまう
この記事では、「真面目だね」が苦しく感じてしまう理由と、そこから抜け出すヒントについて、自分の経験も交えながら書いてみようと思います。
1. なぜ「真面目だね」がプレッシャーになるのか
「真面目」は一見するとポジティブな言葉。
でも、そこには「ちゃんとしている人」「失敗しない人」という無言の期待が含まれていることがあります。
「真面目=いつも頑張っている人」というイメージを背負いすぎると、
- ミスが許されないような気がする
- 手を抜いたら裏切りになるように感じる
- 自分らしさより、期待に応えることを優先してしまう
そんなふうに、気づかぬうちにプレッシャーを抱えてしまうのです。
2. 「真面目」は私の“頑張り癖”の象徴だった

私自身、「真面目だね」と言われることで育ってきました。
その言葉は、たしかに嬉しいものでした。
真面目に努力した私は、着実に成果を出してきたので、努力しなければ成果は出せないというザ・体育会系な思考になっていました。
そのため、真面目だという誉め言葉がだんだんと「期待」と「責任」に変わっていきました。
- 小さい頃から「頑張ってえらいね」と言われる
- 期待に応えるのが当たり前になる
- 「真面目でいなきゃいけない」と無意識に演じてしまう
そうして、本当は疲れていても「まだ頑張れるはず」と自分に言い聞かせるようになってしまいました。
3. 嬉しくないのは、自己肯定感が下がっているサインかも

「褒められているのに嬉しくない」という感覚は、自分を責めているときに出てきやすいです。
特にHSP(繊細な気質)の人は、言葉を深く受け止めすぎてしまう傾向があります。
- 「真面目じゃない私はどう見られるんだろう」
- 「次も頑張らなきゃがっかりされるかも」
- 「褒められること=義務を背負うこと」に感じてしまう
私はこの頃、心の中で何度もこう思っていました。
「もう、真面目じゃなくなりたい」と。
それは怠けたいとか、投げ出したいという気持ちではなくて、
「ずっと頑張ってきたけど、もう無理かもしれない」
そんな疲れ果てた心のSOSだったのです。
でもそれにすら気づかず、私は“いい人”をやめることができずにいました。
4. 「真面目じゃなくてもいい」と思えるようになったきっかけ

私が少しずつ楽になっていったのは、次のような経験を通じてです。
- 自分の本音をノートに書くようになった(ジャーナリング)
- 頑張らなくても信頼してくれる人と出会った
- 思い切って休職し、自分と向き合う時間を持った
「真面目じゃない自分」も、ちゃんと価値があると気づけたとき、初めて心がゆるまりました。
5. まとめ|“いい人”をやめることは、わがままじゃない

「真面目だね」が嬉しくない。
それは、あなたが頑張りすぎてきた証拠です。
いつも期待に応えて、誰かのために動いてきたからこそ、そう感じるのです。
素直に喜べない自分を、どうか責めないでください。
“いい人”をやめることは、わがままではありません。
もっと肩の力を抜いても、あなたはちゃんと愛されていい。
この記事が、同じように感じていた誰かの心に、少しでも届きますように。
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